東京で沈黙(サイレンス)、そして再生産(リプロダクト)
ここ数年は食べ物ならば何にでもタバスコをかける。
納豆や味噌汁、日常的な食べ物にはだいたい合う。
・少し昔の話
僕がもう少し若かった頃はタバスコは食べ物ではなくギャグのための道具類だと思ってた。
・例えば
少年B タバスコを飲んでヒーヒー言う。
少女C少年A 笑う
タバスコが作り出すスペクタクルはある種の熱湯風呂である。
実際タバスコはそんな辛くない。
実はそんな熱くない(であろう)熱湯風呂みたいなもので、実際の辛さ以上のメッセをパフォーマンスで伝えるという一連の中にタバスコの存在意義があるように思っていた。
続く